【47都道府県】全国の理学療法士会メッセージ

広島県理学療法士会

士会の紹介

当会として現在、もっとも力を注いでいる活動は、やはり「地域包括ケアシステム」に職能団体としてどう参画していくかという点に尽きます。他県と異なり、広島県には県庁の健康福祉局、広島県地域包括ケア推進センター、広島県リハビリテーション(以下、リハ)支援センターが地域包括ケアシステムの推進の主軸となっています。またこれらの組織の方針と、職能団体である日本理学療法士会・作業療法士会・言語聴覚士会が推奨する、いわゆる“三療法士会協働”での推進とのバランスを取っていくうえで齟齬が生じているのも実情です。それらの齟齬を、各組織・団体とのコミュニケーションを図りながら、地域包括ケアシステムへの具体的な参画について重点的に検討を進めています。

次に、公益法人としての社会貢献についても力を注いでいます。後述しますが、1985年(昭和60年)から始まった多職種参加型の「地域リハセミナー in 広島」、1994年(平成6年)に広島市で開催された「第12回アジア大会ひろしま」でのメディカルサポートに端を発するピースカップ(国際交流車いすテニス大会)でのフィジオサービスや高校野球全国高等学校野球選手権広島大会におけるメディカルサポートを、若手の会員の参加と研修を促しながら、積極的に実施しています。さらに、広島市で2014年(平成26年)8月20日に発生した大規模土砂災害では、その前年に広島県の「公衆衛生チーム」への参加を締結し、県地域リハ広域支援センターとの協働で、災害発生後には避難所に会員を派遣し、被災者への支援・相談事業を実施しました。

また、2013年度(平成25年)より、県庁の「広島県医工連携推進プロジェクト」に参加し、県下の企業様とともに、医療・介護機器の開発やデータベースの構築を実現してきました。

そのほか、新人教育プログラムの履修率の向上に力を注いでいます。残念ながら当会の新人教育プログラムの修了率は、2012年度(平成24年)までの全国平均を大きく下回る状況でした。これについては、研修会の複数回開催、魅力ある若手講師の登用、支部におけるナイトセミナーの実施などでその後、大きく改善しました。

  • ピースカップでのフィジオサービス(社会局)
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    1997年(平成9年)より当会の理学療法士4名が有志としてフィジオサービス活動を立ち上げました。2009年(平成21年)の第20回大会においては、当会の功績が認められ、「広島県車いすテニス協会」より感謝状が授与されました。

  • 新人教育のナイトセミナー(教育局)
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    2013年度(平成25年)より開始したナイトセミナーにより新人教育プログラムの修了率が、それ以前の38.8%から2014年度(平成26年)には57.4%と大幅に改善しました。今後も継続の予定です。

  • 大規模土砂災害における公衆衛生支援
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    広島市での発生直後に県公衆衛生チームで現地を視察し、数日後から広島県地域リハ広域支援センターとの協働で避難所での集団体操、個別相談等の支援を行いました。この活動にあたってご寄付をいただきました、(一社)福島県理学療法士会と、支援参加を申し出ていただきました多くの他士会および病院の理学療法士の皆様に、深く感謝致します。


これまでの士会活動を振り返って

まず、1993年(平成5年)に社団法人の認可が下り、任意団体から人格をもった正式な法人となったことの意義は大きかったと思います。その後、独立した事務所を開設し、パート勤務とは言え、専属の事務員を雇用できたことは、当会の仕事の効率の向上につながりました。また法人法の改定に伴い、2011年(平成23年)に公益社団法人に移行できたことは、全国の都道府県理学療法士会の中でもかなり早い時期のことでした。これにより行政や他団体への認知度が上がったことの意義は大きいと感じています。

次に、学術的な側面で言えば、1990年(平成2年)「第25回全国研修会」(会長:馬場久夫氏)を、2001年(平成13年)には「日本理学療法学術大会」(会長:佐々木久登氏)を開催したことも、当会のみならず、我が国の理学療法業界に与えた影響は大きかったと思います。前者では、いまでいう「生活リハと理学療法士」の問題を先駆けて討議し、後者では3日間の学会開催と理学療法士以外の発表を認めたからです。さらに、1995年(平成7年)に広島県理学療法士学会(会長:富樫誠二氏)を開催し、県下の会員に敷居の高くない学会参加と発表の機会を提供できたことの意義も大きかったと考えます。

さらに、社会貢献という側面からすれば、1985年(昭和60年)に始めた「地域リハセミナー in 広島」は、当会々員に限らず、県下の多職種への参加を呼びかけ、地域リハを推進していくための考え方や方法論に関わる研修会を、職種を超えて開催することで、今でいう「多職種連携」の走りだったと思います。また、1994年(平成6年)に広島市で開催された「第12回アジア大会ひろしま」でのメディカルサポートは、現在のピースカップ(国際交流車いすテニス大会)におけるフィジオサービスや、高校野球全国高等学校野球選手権広島大会におけるメディカルサポートに繋がっています。


士会の今後に向けて

当会では理学療法士の法的な整備と養成が1960年代半ばにスタートしました。当会も1971年(昭和46年)、当初はごく少数の会員による任意団体として設立されましたが、社団法人化-公益法人化を経て 今年で44年を迎えます。私が理学療法士になったのは1981年(昭和53年)のことであり、四国から広島県に移動したのは1995(平成7)年のことですから、当会の歴史の半分も知らないことになります。

 しかし、これまで理学療法士として働いてきた30余年を通じて痛感しているのは、理学療法、リハビリテーション、さらには医療全体のあり様が、その時代や国政によって、大きく影響を受けてきたという事実です。そのことは、2000年(平成12)年の介護保険の制定、そして2025年をピークとする超高齢少子化社会の到来に向け、地域包括ケアシステムの構築とそれへの関わりの問題を考えると明らかです。

 そのような時代の変遷をうけても、当会は県民・国民の皆様の医療・保健・福祉に全力で貢献していく所存です。当会および日本理学療法士会の活動への会員の皆様のご協力とご参加、および県民・国民の皆様のご理解・ご支援を切にお願い申し上げます。

 


2015年7月16日
公益社団法人 広島県理学療法士会
前会長 沖田 一彦
概要
名称公益社団法人 広島県理学療法士会
設立年1971年(昭和46年)
会員数2,361名(2015年4月1日 現在)
Webサイトhttp://hpta.or.jp/
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