【47都道府県】全国の理学療法士会メッセージ

1988年 学術大会

第23回日本理学療法士学会

大会テーマ 「医療機関以外での理学療法」

第23回学会開催時点には予期できませんでしたが、1989(昭和64)年1月7日、昭和天皇崩御によって1988(昭和63)年の本大会は「昭和最後の開催」となりました。

学会誘致に向け、愛媛県理学療法士会員一同は、1つの会場でしかもゆとりのある広さを目指し、当時、全国的にも屈指の愛媛県県民文化会館の完成を心待ちにし、沖縄県を除く全国が地続きになる年、瀬戸大橋・青函トンネル開通の年を目指しました。

当時、全国的に学会誘致活動が盛んに行われており、第23回の誘致においても、岩手・愛媛両県が名乗りを挙げ、岩手県士会さんの温かい辞退により愛媛での開催が決定いたしました。

学会テーマは、「医療機関以外での理学療法」を掲げました。その理由は、理学療法士養成校が急速に増加し45校になり、今後の就職先がどう拡大していくことになるかを問うためでした。1987(昭和62)年7月時点の会員数は7千名でしたが、その頃、医療機関以外(養成校を除く)の保健所や保健センターなどの地域リハビリテーション分野で、理学療法が行われ始め、その従事者は265名で会員の約4%でした。私は、現在、10万人に達しようとしている理学療法士との対比に興味津々でいます。

学会誌編集担当の山内正雄氏の編集後記に「学会誌編集において、編集委員が寸暇を惜しんで集まり、日夜知恵を絞り、討論を重ねてきました」と、あります。私が分際なく軽く引き受けてきた学会誘致ですが、当時の国立療養所愛媛病院長の清家隆介先生をはじめ、病院あげてのご支援と士会の少数精鋭に守られ、何の落ち度もなく、第23回学会を終えることができましたことに、27年を経た今日におきましても関係者に謝意を申し上げる次第です。

 

公益社団法人 愛媛県理学療法士会
第23回日本理学療法士学会 大会長

渡辺 敏弘

 


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  総会風景(総会は学会時に開催されていた)

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懇親会の催しもの:伊予万歳(松づくし)

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 運営スタッフ集合写真

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開会式 渡辺学会長挨拶写真

 



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