【47都道府県】全国の理学療法士会メッセージ

1968年 学術大会

第3回日本理学療法士学会

大会テーマ「切断」

第3回学会の思い出

昭和42年6月16日、大阪大学松下講堂で行われた理事会で、矢郷弥太郎氏が第3回学会長として指名を受け、引き続いて行われる総会で、承認を受ける前に学会準備委員長を私にと、交渉を受けた。当時矢郷氏は学会長としてではなく、むしろ他の要職にとの話があったので、彼としては意外といった表情であった。しかし彼は、理事会指名を快く引き受け、学会開催への構想を燃やした。

第1回学会は特別講演のみであり、第2回は会員発表5第で協会の力に見合う形式であった。第3回学会を成功させることによって、PT学会の社会的評価を高めると共に、未参加のPTを協会に入会を促進させるためにも、協会の力以上の学会を計画し、開催することを目標として準備することになった。

当時会員数は200名をちょっと越す程度であったから、自力で開催するには、学校の教室を借りて行うのが一番良い方法だが、前記の事情からホールを借りることになった。借りたホールは信濃町にある東医健保会館大ホールである。実質的学会として第1回ともいえるので、準備に多くの困難と経験不足からくる不安が常につきまとっていた。幸いにして東大教授津山先生が、矢郷氏に対し物心両面にわたってご指導ご援助の手をさしのべていただいたことである。現在学会で使用されている協会旗も東大整形外科教室寄贈のものであり、先生への感謝は矢郷氏在世中から感謝の言葉として、周囲の人々に伝えられていた。

学会の内容としては、発表演題も会員数の1/8である25題を数え、特別講演、特別演題、シンポジウム等多彩をきわめ、多くの方々からご高評を受けた。矢郷氏はまたこの準備について、細かくメモをつけ、記録として残した。この記録は次期学会長に申し送り、有意義な参考資料となった。

これまで理学療法の学会といえば、全国病院理学療法協会が行ってきており、PT協会としての学会があるということを社会に認めさせることになった。このことが日本理学療法士協会の存在と学会の認識を深め得たことは大きく、PT協会発展の礎となった。この学会を契機として以後、学会の開催は年々盛会となり、発表内容も逐次高度なもの、PTとして専門職にふさわしいものが見けられるようになったことは喜ばしいことである。

学会誌についても第3回学会から発行された。全頁82頁であり、タイプ印書によるものではあったが、本協会の記念すべき、第1回の学会誌として歴史に残るものであろう。会員数がわずかで資金的にも気丈に困難な時代であっただけに、その喜びは大きかったのである。

(第3回学会準備委員長 関川 博)

※本記事は10年史(日本理学療法士協会発行)からの転載です。




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