第15回日本理学療法士協会全国研修会
大会テーマ 「フォローアップを考える」
それは一つの大きな打ち上げ花火のようなものであった。
1970年代に静岡県理学療法士会は「対内的」にも「対外的」にも問題を抱えていた。「対内的」には伊豆半島を中心とした東部地区に会員が集中していたということ、さらに多くの会員が実は他職能団体にも所属しているという「二足の草鞋」状態であったということである。“(静岡県理学療法士会という)会があるのかないのかわからない状態”であった、と研修会長の竹谷春逸は述懐する。
「対外的」には行政や民間に「理学療法」や「理学療法士」が認知されていなかったという事実があった。
そこで、一発花火を打ち上げよう!ということで第15回全国研修会は誘致された。執行部は必死だった。溝呂木忠士会長をはじめ、組織を全国研修会開催に向けたものにした。機関紙“ゆまにて”も1980年に創刊し、静岡県理学療法士会は大きく動き出した。
「対外的」には一般向けに「静岡県リハビリテーション特別研修会」を開催し、県議会、浜松市にもはたらきかけをした。その結果、静岡県、浜松市からは援助を賜り、研修会場は浜松医大の名前で押えることができた。浜松市からこの研修会が浜松市に対してどのような「貢献」ができるのかと問われ、小冊子のプログラムを作成した。全52頁のうち44頁が市内の飲食店の案内と大手デパート、ホテル及び二輪、四輪製作所の広告だった。
そして、“金もないけど人もいない”状態から1980年10月10日、11日の両日、浜松市民会館大ホールにて第15回全国研修会は開催された。内容は現在でも懸案の入院患者の退院後の諸問題。初日に竹内孝仁先生の特別講演に続き、奈良勲先生司会の行政を含めた各職種によるシンポジウムが行われた。これをやりたかった。
参加者数は399名に上った。会員数54名だった静岡県士会としては大成功であったといえる。(竹谷春逸先生 談)
一般社団法人 静岡県理学療法士会
第15回日本理学療法士協会全国研修会
大会長へのインタビューより(当時は学生)
渡部 文裕
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