第10回日本理学療法士学会
第10回 日本理学療法士学会を終えて
(学会あれこれ)
第10回記念学会長 後藤 宜久
学会最大の恐怖
学会終了挨拶の封筒を書き終えホッと一服つけた目の前の新聞に、春闘処分抗議のストの記事。ストの是非論は兎も角、直接間接に影響をうける国民の被害は尽大なものだろう。2~3日前もある中小企業者が、国鉄政府を対手どって訴訟を起そうとしているニュースが伝えられている。
今想ってもゾッとするのは、我々第10回学会は最初ゼネスト最中の5月8、9、10を予定したのだ。然し会長変更、リハ医学会とのダブリ、会場側との期日調整等、2転3転して、やっと5月15、16、17に決定したのである。そして創立10周年記念学会を成功裡に終了することが出来たのは誠に好運だった。
1年前から開始する学会準備、まず会場期日の決定、内容テーマの検討、演題募集その選択、特講シンポ討論の演者や座長の決定交渉、プログラムの作製印刷、その間、資金広告集めの奔走、評議員幹事を招集して数次に渡る会合や会場側との設営上の意見交換個別の準備打合せ、全員集合等々々。その一切の苦労は国鉄ストの一撃で哀れ水の泡、完全にアウトである。しかも万一のスト回避を予想してその前日まで不安と焦燥の準備を進めなければならないのである。今や警戒警報は発せられたのである。
敬遠してきた4月春闘は5、6月にまで延長された。代議員会、総会を併催しなければならぬ今後の学会開催は正に危期 さらされつつある。
学会成功への協力
学会終了後ある会員から戴いた手紙に「まれにみる迫力ある学会」と賞賛の言葉を戴き恐縮したのだが、今回の学会はテーマの魅力もさること乍ら、協会創立10年というメモリアルな意義を大いに盛上ようとする協会員の熱意と運営委員諸氏の努力が結集して今回の成功をもたらしてくれたものと思う。
多数の演題を寄せてくださった各地の会員諸兄並びにパネルやシンポの発言者、座長の大役を心をよく引受けてくれた諸兄に心からお礼を申しあげたい。
また本学会の裏方サン、1年前から着実な計画のもとに動いてくれた幹部役員と学会当日会場運営に黙々としかも機敏に働いてくれた各係員諸君との完璧なチームワークは見事であった。殊に施設管理に厳しい制約のあるあの会場でのそれは、ただ感謝の一言に尽きます。
聞くも涙、学会成功祈願
期日が切迫するにつれ最大の不安は、ぼう頭に書いた国鉄スト第3波であった。
学会を10日前にしたよく晴れた連休日、神宮表参道近くに処用で出かけた折、最近新しいヤングの街と騒がれる原宿シャンゼリゼ通りを歩いてみた。華やかな原宿祭りのパレードを見送った目の前に明治神宮の大鳥居があった。フッと柄にもなく学会無事終了を祈願しようと思い立ち、久し振りに玉砂利を踏んで神前にデモ回避を祈った。
幸い学会も終って妻にその事を話した処、妻も近所の愛宕神社に1週間願をかけて祈ったとの事(ノロケと言えば言へ)、ただお互いに天気の事はお願いしなかった。だから学会2日は雨と曇りだったのかと二人で大笑い。然し開会式の来賓にお茶のサービス、レセプションの接待役と、膝関節症の重い足(これは内諾)を引きずって働いてくれた妻には心うたれた、という語るも涙浪花節の一せつはこれまで
開会式のハッタリ?
演題受付、評議員幹事への原稿回送、演題選別、座長決定連絡等々、学術部と共に目の廻る様な忙しさを経てプログラムも印刷。
開会式祝辞臨席者の名前がズラリと並んだ。まず厚生大臣臨席は、選挙区北海道からの働きかけ、室蘭の山内氏と手紙電話の連絡が続き、厚生大臣秘書官との話合いもつき、別に知人の紹介で厚生事務次官からのプッシュもあり実現性濃厚であったが、期日も迫って開会式の時間が閣僚会議とブッカリ臨席不可能。
都知事に就ては1年前から2人の都議会議員を介して交渉、当初は都からの補助金獲得を目指していたが知事選挙、骨格予算の影響で補助金は勿論チョン、ただ福祉知事とも謂はれるM氏挨拶は確実と考えていたが書類提出上のミスもあり最終段階では都知事スケジュールが当日一杯でオジャン。プログラムに印刷した手前是が非でもと努力奔走したが遂に実現出来なかったのは残念だった。
写真展と記念レセプション
はじめ10年をパネルにまとめる企画であったが学会当日配布される「協会10年誌」の歴史を写実的立体的に写真で裏付けしてみようという事に計画を変更し同誌の編集者田口女史とも相談し各回の学会長、研修会関係者に協力を呼びかけたが、写真資料皆無の学会もあり、写真もカラーが多く引伸しが困難で折角提供してくれた各学会関係者諸先生には申訳けないが、写真帳をそのまま展示、結果的には各学会の抄録学会誌を一緒に陳列し、私が骨董品屋から買ってあったブロンズ像まで動員して「ミニ写真資料展」としてブッッケ本番、学会前日東大の菊地さんの協力で貼り付けが出来た。然しこの写真展は展示場を賑わせてくれ展示協賛業者から感謝されたのはケガの功名。
記念レセプション、学会パーティは水もので参加者の予想がつかずこれを企画した責任者の悩みの種となる。然し1年1回、北から南から参集した会員の懇親の機械であり旧交を温ため且つ新しい友情交友を開拓する絶好の場でもある(これを飲みニケーションと云う)。
そこで今回は学会参加者の予測もかねて予約を行った処各地から参加希望者は百名を突破し盛会を想わせた。処が蓋を開けてみると予約者中実際に会費納入者は当日午前中30数名、午後に入ってもボツボツ、ここで勧誘作戦を強力に進めやっと80数名にこぎ付けて責任者の菊地さんをホッさせた。招待者も少数にしぼり、参加者全員平等に会費を出し合い和気あいあい、エレクトーンの演奏も良く楽しい雰囲気をかもし出すことが出来て企画した甲斐があった。(今後の為にここで苦言、予約者はキャンセル厳禁のこと、当日の料理増減は不可能)
シンポジウムの盛況
今学会のハイライト、メインイベントとも言うべきシンポジウムは果たせるかな大盛況でさしもの虎の門ホールも立錐の余地無い(とまではいかぬが)兎角一般参加者のほか学生会員外入場者招待者も含めて多数の人々が時間のオーバーも忘れて聴入ってくれた。
なにせ発言者は当代PT理論のチャンピオン級の松村、紀伊、奈良の3氏、配するに東洋医学系第1人者の芦沢氏、名司会の定評ある和才座長、新進気鋭のDr.竹内氏と、キャストは正に学会フィナーレを飾るに相応しい豪華版である。議論が白熱化しようとする頃は時間切れで終了の止むなきに至ったが、協会歴史2桁への課題として少なくとも問題提起の意味を持つものと確信している。最後の質問者の言葉に要約された様に、障害者に対し単なる病気障害のみを局限視せず、病と人、病と気を全人格的に把握しようとするのが東洋医学の思想であり、ボバースの考え方にも共通点がある事が判った。
今日人体実験、薬害その他医原性疾患が持つ問題は、あまりに分析細分化された現代医学への反省警鐘であり、これは其のまま人間尊重を根底とした治療家の態度として、PTにも要求されるものであり単なるテクニック提供者であってはならない。そしてこの事はあらゆる倫理規定に最優先すべきものであろう。第8回学会のスローガン「PTは身障者の心の杖となろう」をもう一度想起しようではないか。
おわりに
第10回学会に対し協賛援助下さった関係病医院PT関連業者の方々の御厚意にお礼を申しあげ、私の準備委員長の活動を支えてくださった東大津山教授、医科歯科大青池教授の両先生に心から感謝の意を表します。
※本記事は臨床理学療法からの転載です。
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